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「いま終わる、長い長い旅が…」

アニメCLANNADが終わりました。CLANNADはこれで一段落と思います。
総集編「緑の樹の下で」、分かりやすくてとても良くまとまっていました。

この物語は10年近くにわたるストーリーです。それと同時に僕がゲーム「CLANNAD」を手に取ってから、もう5年が過ぎようとしています。
「CLANNADは人生」と言われますが、5年も経つと物語の人生だけでなく自分の人生も重ね合ってきます。感慨深いので、ちょっとブログに書いてみました。

ゲームはPC版の初回版をプレイしましたので、最も早くからCLANNADを知ったひとりだと思います。
ゲームなどあまりしない自分なので、なぜこのゲームだけ初回版からゲームしたのか不思議でなりません。何か運命的な出会いだったのかな?と大げさに考えたりもしますが、いずれにしても5年にわたって強く印象に残る物語です。

ゲームを始めたときの気持ちを覚えています。なんて繊細で優しいゲームなのだろうかと、感動していました。
最後までプレイして、ああ名作だ、このゲームが多くの人に知られたらいいのに…と思ったことが、いま実現しています。各国語の字幕がついて世界にまで広まっています。関係者でもなんでもないのですが、とても嬉しいです。
CLANNAD sakura

思い返すと5年は長く、自分の人生にも大きな変化がありました。
渚や朋也のような人生とはまったく違いますが、CLANNADから得る気づきは心の支えになりました。
友人の、家族の大切さに改めて気づくことができました。世間の中で生きてゆくことの難しさと大切さも痛いほど語られ、自分の心に入ってゆきました。

そして、町とのつながり。
地域のつながりなんて、古めかしいことと感じていました。
でも、友人とのつながりが家族のつながりになり、町とつながって、世界とつながる。それはとても大切なこと。人はこんなつながりの中で生きていってるのですね。
そして、そのつながりは幸福にまでつながるよ、とCLANNADは語りかけているのでしょう。

5年間にわたって心に残っているのは、こんな基本的な価値観はいつまでたっても重要だからと感じています。「CLANNADは人生」というのは、ストーリーが人生なだけでなく自分の人生と重なるからなのでしょう。

さて、この5年間が終わって、ちょっと虚脱状態になってます。これからどうしようかな?
答えは、これもCLANNADの中で何度も言われています。物語の核心ですらあります。

CLANNAD opening

物語の一番はじめのシーン、桜並木の坂の下での朋也、
「見つければいいだろ。次の楽しいこととかうれしいことを、見つければいいだけだろ」
そして風子が話すラストの言葉、
「楽しいことは、これから始まりますよ」

そう、自分でどんどん楽しいことを見つけてゆきなさい、ということなのですね。
いや、もう自分は楽しいことでいっぱいです(^o^)
CLANNAD LAST

汐が満ち引くように、CLANNADはこの曲で始まり、この曲で終わります。
「汐」(うしお)

Calm tide 汐` - RESOUND WAV
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「いま終わる、長い長い旅が…」
自分の旅も一区切りついたような気がして、虚脱感でしばらくこのブログも書けませんでした。

clannad22c.jpg

最終話、とても丁寧に慎重に作られていました。
この1年のストーリーが、この最終回に集約されています。
原作に忠実で、原作をプレイした自分は安心して見ていられました。原作を知らない方には、少し分かりにくい展開だったかもしれません。

感想は、まとめられない…。身近でありながら壮大なストーリーの前に、呆然と立ちすくんでいます。
想うことはいっぱいあって書こうとしたのですが、言葉にならないんです。
なので、一番大切な部分を、少し引用させていただきます。

人と家族と町の物語
clannad22a.jpg

「もし、町というものに、人と同じような意志や心があるとして」
「そして、そこに住む人たちを幸せにしようって、そんな思いでいるとしたら」
「こんな奇跡も、町のしわざかもしれないです」
「でもそれは、奇跡じゃないですよね」
「町を大好きな人が町に住み、人を好きな町が人を愛する」
「それは、どこにでもある当たり前のことのはずです」
「私たちは町を愛して、町にはぐくまれているんです」


人のつながり。人はひとりじゃなくて、つながっている。
それは家族や友人を越え、町にまで、そしてその先にまでつながってゆくのですね。

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

ついに、
渚に続き、雪の中で汐が倒れ、号泣する朋也も追って倒れ…。
clannad21a

幻想世界でも、少女が倒れました。
ここまで、行き着くところまで、徹底的に苦しめられる。
絶望の底に落ちてしまいました。最悪です…。(「最悪です」は風子の口癖ですが、この場面を意識していると思います。)
でも中途半端でなく、落ちるところまで落とすところが、CLANNADの素晴らしいところ。


そして、下の場面。
CLANNAD第1回の初めのシーンに戻ります。
clannad aft 21

桜並木の下で立ちつくす渚に、通りがかる朋也。物語の初めと同じ状況です。
でも、ひとつだけ、そして決定的に違うところ。
それは朋也が、何も知らない朋也ではなく、何もかも知ってしまった朋也になったこと。
長い長い道のりを経て、やっとこの場所に戻ってくることができました。

全てを知った朋也は、来週の最終回にこの場面で、最初で最後の、とてもシンプルだけれど、何よりも重要な選択をするのですね。この選択がCLANNADのすべてと感じます。

このあたりの感動は、ゲームならではの演出が大きく影響しているので、どのようにアニメ化するのか興味がありました。それがほんとにゲームに忠実に再現されているとは。何と素晴らしい…。


来週は、1年(半年×2)にわたって放映されたアニメCLANNADの、全ての伏線が回収されるはずです。
この最終回のために、今までのCLANNADの話があったとも思うくらいなのです。
感動の最終回になることと、期待しています。

最終回のタイトルは、「小さな手のひら」です。
そこで流れるはずの感動の名曲、「小さなてのひら」を貼っておきます (タイトルが文字化けしています) 。

ССµÄÊÖÐÄ - riya

「この町と住人に幸あれ」
もうここ10話くらい、感動に次ぐ感動で、毎回泣いています…。

しばらくぶりに、アニメCLANNAD AFTER STORYの感想を書きます。
CLANNADを見ていない方には分らない、説明も無い内容で、すみません。
あらすじは、アニメCLANNAD公式ページか、他の感想サイトを検索してくださいませ。

今回は、杏と風子のおかげで久しぶりにギャグ満載で、ほっと一息つく回でした。
次回は、いよいよ一番辛いシーンに入るだけに、今回ののどかさが際だちます。

杏と朋也の会話はとても良かったです。
卒業から何年も経て、二人とも大人の会話ができるようになった。
その年月がよくわかる演出で、また少し涙が…。

そして、ついにラストシーンへつながるフラグが立ちました。

風子のセリフ
「外で会っても声かけます。もう汐ちゃんの匂いまで記憶したので、近くにいたらわかります」
「その時は二人きりで遊びましょう」

そしてこの画。
長い時間、写していました。

場所

もうじきCLANNADが終わるのだな、とゴールが見えたときの寂しさを感じずにはいられません。
このシーンだけで涙がでてきます。

今回はちょっと感想が書けるくらい、余裕を持って見ることができました。
今までは感動で、そしてストーリーの重たさもあり、感想どころではなかったのです。

次回いよいよクライマックスです(最近は毎回クライマックスですが(^^ゞ)。
覚悟して見なければ…。

この曲、歌詞の意味が深く、やや難しいように思います。そこで自己流ですが解釈をつけてみました。歌詞の意味や背景がわかると、さらに素晴らしい曲だと気づきます。

自分なりの解釈ですので、間違いや抜けている点があると思いますが、ご容赦下さいね。
またどうしてもネタバレになりますので、ご注意下さいませ。

4年半前、PC版ゲーム初回版をプレイして、「この素晴らしい世界が、多くの人に知られるようになれば…」と思いました。
そのCLANNAD主題歌がオリコンランキング第三位になった、多くの人に知られるようになったということで、とても感慨深いものがあります。

さて、この曲は単に渚が亡くなったことを悲しむレクイエムだけではなく、むずかしい?CLANNADの世界観をまとめ、作者麻枝さんのメッセージを発信している曲だと思います。
CLANNADは、アニメ放映が終わればひととおり終わりでしょうから、最後にこの曲で強いメッセージを麻枝さんが世に向けて発したと感じます。



では、歌詞に沿って解釈を考えてゆきましょう。
これは多くの解釈通り、渚が亡くなった後、朋也が渚のことを歌った唄であることを前提に見ていって下さい。

”落ちていく砂時計ばかり見ているよ
さかさまにすればほら また始まるよ
刻んだだけ進む時間に いつか僕も入れるかな”


砂時計を逆さまにしてまた時間が始まることは、CLANNADがループする世界であることを表していると思います。そして砂が落ちきるまでの区切られた時間は、風子ルートやことみルートなど、各ルートを暗示していると思われます。

CLANNADではこれらのルートで朋也が光の玉を集めることによって死んだ渚を救うわけですから、「いつか僕も入れるかな」とは、渚を失った後で朋也がこれから各ルートに入り光の玉を集めることを示しているようです。

(11/25 追記 記事を読んでいただいた方よりコメントをいただきました。

「刻んだだけ進む時間」とは、ループしていない動いている時間=渚と刻める時間のことではないかと。 その渚と刻める時間にいつか入りたい、たどり着きたい、という朋也の希望なのでは?とのこと。
なるほどそうかも知れません。真相は作詞者麻枝さんのみぞ知るですが、いろんな解釈があるのは面白いことです。

匿名様、コメントありがとうございました。)

CLANNADは時間の流れが主題であり、ループなどの時の進み方も重要な意味を持ちますが、それがとても大切なことを作者みずから曲のタイトルで表していますね。


”きみだけが過ぎ去った坂の途中は
あたたかな日だまりがいくつもできてた
僕ひとりがここで優しい 温かさを思い返してる”


ここでこの物語の最初、そしてループの起点となる「坂」に場面が移ります。
きみとは、もちろん渚のこと。思い返しているのは朋也ですね。
ここでの素晴らしい点は、「あたたかな」と「温かさ」をひらがなと漢字に変えていること。
同じあたたかいでも微妙に違うこと、後者は温度より気持ちのあたたかさが主であることを表していると思います。


”きみだけを きみだけを
好きでいたよ
風で目がにじんで
遠くなるよ”


さすがサビの部分だけあって解説が不要なくらいわかりやすい、そのままですね。
「風」をわざわざ出してくるところは、CLANNADの世界観に深く関わる重要人物、風子を意識しているんでしょうか。いや逆ですね。風を意識して、風子のキャラを作ったんでしょうから…。


”いつまでも 覚えてる
なにもかも変わっても
ひとつだけ ひとつだけ
ありふれたものだけど
見せてやる 輝きに満ちたそのひとつだけ
いつまでもいつまでも守っていく”


この語りで、CLANNADで言いたいことが示されます。渚が坂の手前で言った言葉、
「なにもかも…変わらずにはいられないです。楽しいこととか、うれしいこととか、ぜんぶ。…ぜんぶ、変わらずにはいられないです」
「それでも、この場所が好きでいられますか」

それに対する朋也の答え、そして作者のメッセージがこの語りだと思います。
CLANNADのゲームをした人、アニメを見た人、そしてこの曲を聴いた人へのメッセージなのですね。
「なにもかもが変わっても、大切なものをひとつだけ見つけて、それを守ってゆきなさい…」。
「ひとつだけ」とは、各人によって違う。だからそれが何なのか、明示していないんだと思います。

このあたりで泣けてきました。

さてここでは、「見せてやる」と強い表現がなされています。初めて聴いたときから耳に残りました。朋也の決意を際だたせるため、強い表現にしているようですね。


”肌寒い日が続く もう春なのに
目覚まし時計より 早く起きた朝
三人分の朝ご飯を 作るきみが
そこに立っている”

最初の一行で、朋也の感情がよく表されています。
朝ご飯を作る光景ですが、汐を生んだときに渚は息を引き取ってしまうので、「三人分」(朋也・渚・汐)の朝ごはんを作る光景は、ラストエンド後まで見られないはずです。「目覚まし時計より早く起きた」とありますので、夢の中の光景なのでしょう。


”きみだけがきみだけが
そばにいないよ
昨日まですぐそばで僕を見てたよ”


ここはそのままだと思います。渚が死んだことをわかりやすくのべてます。


”きみだけをきみだけを
好きでいたよ
きみだけときみだけと
歌う唄だよ”

ここも、これまでの歌詞の解釈がわかると、そのままわかる部分ですね。


”僕たちの僕たちの
刻んだ時だよ
片方だけ続くなんて
僕はいやだよ”

これが歌の最後です。「時」の大切さを強調するための歌詞を、最後にも持ってきていますね。
気になるのは、一番盛り上がるサビのところなのに、「僕はいやだよ」と後味の悪い終わり方をしているところ。
これは、最後の語りの部分に繋げて盛り上げるために、わざと中途半端な終わらせ方をしているのでしょうか。


最後の語り(に近い歌)
”いつまでも 覚えてる
この町が変わっても
どれだけの悲しみと出会うことになっても
見せてやる 本当は強かったときのこと
さあ行くよ 歩き出す坂の道を”


最後に坂の道を歩き出します。
そうです、最初の坂に戻っていますね。最初にループするのですが、でも朋也の強い決意によって、これからの展開は今までと違ってくるのです。
その展開はCLANNADで見ているとおりであり、渚が生きるトゥルーエンドへの道なのでしょう。

さらにここでは、先の語り部分と同様、朋也のそして作者の強いメッセージがでています。
「町が、なにもかもが変わっても、どんな悲しみもがあっても、強く歩いてゆきなさい」、と…。


さて、このあと”ぎぎぎ…”という音がして、オルゴールが流れます。
ここにも深い意図があると思います。

「ぎぎぎ…」というのは、オルゴールのネジを巻き戻す音。ループの最初に巻き戻ることを意味していますね。そして曲は同じだけれどオルゴールという音色の違うものが流れる。これはこれから同じようで違った世界を進んでゆくことを、暗示していると思います。

さらに「ぎぎぎ…」の音。これ、どこかで聞いたことがありますよね。そう、幻想世界でガラクタロボットの耳が回転するときの音。ガラクタロボットは朋也自身ですよね…。そこまで意識してこの音を入れているのだと思います。


こういう風に考えると、とても深い曲です。
この解釈には間違いもあるでしょうし、抜けている点もあると思います。
でもこれを参考にして聞き直してみてくださいませ。新しい感動があるかも知れません…。
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